コーヒーを飲みながらぼんやりSNSを眺めていると、ある新聞に掲載された投稿が流れてきた。
それは、闘病中のお姉さんから「死後の世界はあると思う?」と聞かれた妹さんが「もし私より先にお姉ちゃんが死んだら何かのサインを使って『死後の世界はあるよ』と教えてね」というものだった。
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ふと、そういえば妻の薫が死んでから、なにかそんなサインが来たことがあったっけ? と考えた。
いや、というか、そもそも約束してないんだからそんなのはないか。
と、ちょっと寂しくなった。
普段、バタバタと忙しく過ごして、気が紛れているときはなんでもないけれど、その日はふいに寂しさが胸にせまってきて、苦しくなったのだった。
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結婚した頃、薫が小さなバカラのショットグラスを買ってきた。
若かった僕らはあんまりお金もなかったから、ペアじゃなくて一つだけ。
新婚生活で新しく家財を揃えたりすることもなかったので、数少ない記念の品のようなものだった。
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そのグラスはウイスキーを飲むためのものだろうけど、あいにく僕はあまりお酒を飲まない。
だから実際に使うことはほとんどなかった。
けれど、やはりあの光を受けたときのきらめきはすばらしくて、いつも食器棚の右上の特等席に飾るようにしまっていた。
妻もときどき棚から取り出しては、手のひらでクルクルと回したり、光にかざしたりしていた。
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2011年3月11日の東日本大震災ではバカラをしまっていた食器棚も大きく揺れた。
扉のガラスにヒビが入り、中にしまっていた作家ものの器や、パリやロンドンで少しずつ買い集めたコーヒーカップの多くが割れてしまった。
でも、不思議なことにそのバカラだけは無事で、ほっと胸を撫で下ろしたものだ。
だからなのか、僕の中でこのグラスだけは「絶対に割れないもの」と思い込んでいたのかもしれない。
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記事を読んだ次の日、珍しく、日頃はほとんど使わないそのバカラにジュースを注いだ。
飲み終えたあと、そのままカウンターに置きっぱなしにしておいた僕が悪いのだが、しばらくして、棚の上にあったサプリメントの小さな瓶が突然落ちてきた。
ぱりん。
本当に一瞬の出来事。
震災でも割れなかったグラスは、拍子抜けするほどあっけなく割れてしまったのだ。
しばらく僕は、呆然として動けなかった。
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床に散らばった破片を見つめながら口をついて出たのは「ごめんね…」という言葉だった。
そして、ふと、昨日の記事を思い出したのだった。
あ、もしかして…。
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亡くなった人をとても近く感じる日がある。
割れたグラスを通して聞こえてきたのは「もう、いいんじゃない?」、そんなメッセージだった。
気がついたら泣いていた。