この春から、福井にある実家を不登校の子どもたちの居場所として活用する準備を進めていた。
運営を担う社団法人、自治体の連携、支援体制も整い、複雑だった不動産の相続手続きまでようやく完了。
さあ、いよいよ始まる! と胸が高鳴った矢先、計画は突然、中止となってしまった。
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理由は、地域住民の理解を得られなかったから。
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社団法人の代表から「断念せざるを得ない」と連絡をもらったときは、悔しさで涙が出た。
「まさか、こんなところで」と、信じたくなかった。
何度も説明し、誠意を尽くしたつもりだったが、住民の抱える「不安」は、最後までぬぐえなかった。
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僕には、縁あって知り合った不登校の若い友人がいる。
H君、17歳。
小学校高学年のときから学校に行かなくなり、今はフリースクールに通っている。
実を言えば、僕もそれまで「不登校」について深く知っていたわけじゃない。
どこか遠い世界の話のように思っていた。
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でも、H君に出会って、そのイメージは一変した。
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彼は驚くほど聡明で、プログラミングの腕はプロ顔負け。
歌も上手で、たまにメディアに登場しては、不登校のリアルを語り、理解を広げる活動もしている。
各地のフリースクールと繋がって、不登校生のコミュニティを広げるイベントまで企画する姿はとても17歳とは思えない。
彼に会い、そして彼の仲間たちと触れ合ううちに、不登校生という言葉の裏にある、一人一人の強さや優しさに気づかされた。
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だからこそ、1年前に舞い込んだ「実家をフリースクールに」という計画は、まるで奇跡のようだった。
H君に計画を報告したとき、彼は目をキラキラ輝かせて、「素敵だね!」と喜んでくれた。
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それだけじゃない。
長年、地域の公職を務め、一代で築き上げた父の誇りの詰まった家を、もう一度‟誰かのため”に使えることも、僕にとっては大きな喜びだった。
不登校の子どもたちの居場所として、地域の人たちとの交流の場として、さらには空き家活用のロールモデルにもなる。
そう信じて疑わなかった。
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けれど現実は厳しかった。
不登校への偏見はいまだ根強く、夢は打ち砕かれてしまった。