この原稿が出る頃は2026年。
お正月気分もすっかり抜けて、「変わらぬ日常」が戻ってきた頃だろうか。
少し遅いけれど、自分にとって25年を総括すると、これまで手をつけられなかった「澱(おり)」のようなものを、洗い流したり、磨いたりする一年だった。
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特に大きかったのは、僕の実家、そして亡き妻の実家の片付けと相続という物理的な整理と、妻の死後、自分が直面した「心」と向き合った書籍の出版という精神的な整理。
そして、立ち上げた会社の初めての決算。
うまくいった事業も、頓挫したものもあったけれど、すべてをまるっと総括したような一年だった。
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そんなふうにひと通りの整理をつけた昨年の暮れ、クリスマスからお正月にかけて、3年ぶりにパリで過ごすために、僕は飛行機に飛び乗った。
ちょうとパリに暮らす知人がバカンスでスリランカへ行くことになり、その間、半月ほどその友人の愛猫のシッター役をこなしながら、しばしその家で過ごすわけだ。
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もっとも、そのためには、我が家の犬1匹、猫4匹のお世話係が必要になる。
そこで今度は、自分の娘、僕のガールフレンドのお父さん、そして息子が、我が家を「クリスマスとお正月をのんびり過ごす家」として使うことになり、なんとも玉突き的なバカンス連鎖が生まれたのである。
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今でこそ、気軽にひょいと海外に飛び出すけれど、思い返せば、はじめて海外を旅したのは大学生の頃。
バンコクを経由してインドへ、リュックひとつで宿も決めないバックパッキングは決死の覚悟だった。
沢木耕太郎や藤原新也にかぶれて、格好つけて出かけたものの、案の定トラブル続き。
それでも、その経験は今も自分の根っこのようなものとして残っている。
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もともと僕は、観光地を巡ったり、食べ歩きやショッピングを楽しんだりするタイプではない。
どちらかといえば、見知らぬ街で「暮らすように過ごす」旅が好きだ。
いつか読んだ沢木耕太郎のエッセイの中で、旅を重ねた末にたどり着いた理想の旅先での過ごし方として、たとえば「ハワイ大学の図書館で借りた本を、木陰で静かに読む時間」というようなことが語られていて、その肩の力の抜けた旅観にすっかり感化されたのを覚えている。
自分もいつか、そんな旅を「感じられる」大人になりたいと思った。
だから今回は、大好きな釣りも最小限にして(やるんかい!)、静かにパリの空の下で年末年始を味わっている。
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さて、猫たちの世話を終えたら、今日はこれから少しだけルーヴルを観て、マルシェで買ったワインとフルーツを携え、友人の家でささやかなノエルパーティーを過ごす予定だ。
すでに気温は0度。
きっとパリの聖夜には静かに雪が降るにちがいない。