第一巻 ~徳川の城 福井城~【だいなの越前・若狭! 福井の城見聞録】

第一巻 ~徳川の城 福井城~【だいなの越前・若狭! 福井の城見聞録】

こんにちは! 

城の沼にハマって、はや11年が経とうとしている 酒井大那です。

前回の、『はじめにの巻』は読んでいただけましたでしょうか! 

私、酒井の自己紹介をさせていただきまして、その後に城郭(じょうかく:城のこと)を見学する上で私が最も重要であると考えていることを2点あげ、説明をしました! 

 

今回は、記念すべき第一巻! 

青く輝く石材を城全体に用いた、越前の石文化の到達点と言える徳川のあの城といえば、福井城! 

福井市に所在します福井城をご紹介します。

 

といっても、紹介したいことが膨大な量ですので、いくつかにわけてお届けします。

城郭史、考古学、城主、石垣、堀、笏谷石、山里口御門とお廊下橋、歴史的文化遺産の活用などなど。

ということで、今回は~徳川の城 福井城~では、築城史と築城理由から魅力を紹介します。

現在の福井城は、高石垣と堀が現存しています! 

親藩68万石としての立派な石垣と広大な水堀ですね。

 

建築物だけが城郭ではないですよ~。

天守や櫓、門は城郭の一部に過ぎませんから~。

 

福井城にはお城が残ってないよとよく言われますが、

どこがやねんっ! (ツッコミたい)

城は土で成り立ちます! 

 

たとえ建物が焼失したとしても、福井城は石垣で迎え撃つことが十分可能だと考えます。

建物はいくら漆喰が塗ってあるといっても、攻められるといずれ焼失してしまいます。

 

しかし、福井城の場合は、もし建物が焼失したとしても立派な高石垣は焼失しません。

その高石垣によって最終的に城が守られます。

 

また、守備は建物がなくとも石垣に隠れながら、雁木を登り敵を迎えうつことができる。

といっても、建物がある姿をみたい! そんな方には2018年からあります、VR観光アプリがおすすめです。

VRを通して、約400年前の福井城にタイムスリップしてみましょう!

楽しいですよ~。

【⇒アプリの詳しい説明はこちらから

 

もし建物を実際に復元してしまうと、建物によって遺構が隠れてしまったり、遺構の部分的な破壊や損傷につながったりして、現在の本来あるべき城址の姿をみることができない。

このVR技術は遺跡の保存に伴っての活用に大いに期待できます。

 

 

では築城史と築城理由について考えていきましょう。

 

福井築城の歴史
 
福井城が築かれるまえ、戦国時代の越前の中心である府は、朝倉氏五代の栄華を極めた一乗谷でした。

その後、織田信長によって越前が平定され、天正3年(1575)柴田勝家が北庄城を築城します。

あれれ、既に福井県内の城が2つも登場している~。(今後の城見聞録をお楽しみに)

 

慶長5年(1600)の関ケ原の戦い後、結城秀康が徳川家康の命により、この福井市の地に68万石という大きな石高で入封(にゅうほう:土地を与えられその領地に入ること)します。

福井県のお隣の石川県、金沢市に所在する金沢城は百万石で有名ですが、城郭の規模では同格ほぼ同じ!

北陸で最大の居城です。

この福井築城では、北庄城を改修しながら新城として誕生しました。

 

寛永元年(1624)に松平忠昌(忠直の弟)が越前高田より移封し、地名が福井に改められます

この福井は、一説によると天守曲輪(てんしゅくるわ)にある「福の井」と呼ばれる井戸からきているとか。

 

その他にも、この福井築城によって、福井市の街の形成、文化の形成が行われました。

つまり、福井築城こそ、現在の福井市の基礎を築き、現在でもその歴史は受け継がれています! 

福井城下眺望図。福井市春嶽公記念文庫

 

では、なぜ福井城は築城されたのでしょうか。

 

。。。その前になぜこの地に福井城、その前身といえる北庄城が築城されたのでしょうか。

 

私は現在、朝倉氏時代も含めて考えております。

※連載を読んでくださっている方のなかで考えがおありの方は、私のSNS(TwitterまたはInstagram)にて、メッセージしてください。お待ちしております。

 

話を戻しまして、私は福井城がなぜ築城されたのかについて2通りの策があったと考えています。

 

【1つ目】徳川家康対豊臣秀頼との決戦のため、つまりは大坂包囲網の1つの城として築城された。

関ケ原の戦い後、日本列島に戦争がやみ、世の中が治まるという偃武(えんぶ)が訪れたわけではありません。

未だ大坂には豊臣秀頼が君臨しています。

豊臣方に味方するのか、徳川方に味方するのか。

全国の大名が困惑し、その困惑が戦国時代のなかで最大の軍事的緊張を生んだと考えられています。

 

前まで、味方であった大名が、いきなり敵になることも! 

その大坂の陣の決着後、ようやく応仁の乱以来、約150年ぶりに元和偃武(げんなえんぶ)が訪れました。

 

豊臣の大坂城を囲むように、例えば西国に目を向ける姫路城や重要な街道が側を通る彦根城などがあります。福井城の場合、北国街道が通りますね。

 

【2つ目】北国の守備(加賀前田家に対する城)です。

1つ目と少し被る点もありますが、大坂の陣後も外様大名である加賀前田家が存在しています。

いつ反旗を翻すか分からないため、北国の守備は必要でした。

江戸時代に描かれた、福井の城郭の全体図を見ると、加賀方面に加賀口御門が置かれ、ここだけ馬出という城郭構造をしています。

江戸時代の城郭にはあまり見られない構造で、戦が日常茶飯事であった戦国時代の城では多く見られます。

軍事ならびに防御の意識が分かりますね~。

 

これらの2つの策から、徳川家の人間をこの福井の国に入封させたことの重要性、またそこから見えてくる地政学的な重要性が分かってきたのではないでしょうか。


また、このことについては、その前身となる北庄城からも考えることができる。

今後も考えていきたいと思います。

 

現在の主な遺構は本丸だけですが、本来は日本有数の重要拠点であったのです!

忘れ去られてはいけない、誇りに持つべき巨城なのです! 


郷土愛を福井城から探してみませんか? 

▲加賀口御門「福井城旧景」。福井市郷土歴史博物館

 

タイトルを読んで、福井城は徳川の城なのかと思った方、ここまでくるとなんとなくわかっていただけましたでしょうか。

もうひとつ、つけ加えてみますよ~。

 

天下普請
 

徳川の城での普請においては、天下普請(てんかぶしん:江戸幕府が全国の諸大名に命令し、土木工事を行わせる)が取られました。

福井城でも、多くの大名を動員し、石垣や水堀が造成していきました。

多くの大名が一斉に工事を行うため、石垣を切り出し、運ぶ際中、どの大名が担当(切り出し、運び、積んだ)したのか分からなくなることがでてくるでしょう。


そのため石垣には、誰が普請を担当したのかを示す刻印が見られます。

福井城にはなんと400種類もの刻印が確認されています。

シンプルなマークからユニークなマークまで多く見受けられます。

 

現在、目にすることができる石垣にもたくさんありますよ。

もうはやり言葉ではなくなりましたが、“まじまんじ”で一時期流行した「卍」のマークもどこかにあります!

 

ぜひ探してみてください! 

ヒントは本丸内側の石垣です。

 

 

次回は、『城の構造と城下町の構造、明治以降の歴史から福井城の魅力』を紹介します! 

 

その後、歴史的文化遺産である福井城址への私酒井の思いを述べます。

お楽しみに。

 

ぜひ、福井城を見学してみてください。新しい発見があるかもしれませんよ。

ちなみに、私はこれまで福井城を見学した数は、おそらく1000回を超えるのではないかと思います。(笑)

 

 

「福井城を守る会」について

最後に、私が代表を務めさせていただいています、『福井城を守る会』について紹介します。

2021年の4月から、本格的に活動を開始予定で会員を募集中です。(現時点で会員60名以上)

「福井城址は、美しい石垣や幅広い水堀などが残る近世城郭の完成形であり、建物がないのでどのように石垣が築かれたのかなど想像して楽しめる」。

2023年の北陸新幹線県内開業を機に、福井城の魅力を掘り起こし、発信し、観光客の受け入れ態勢を充実させることも目指します。

 

活動内容としては、発掘調査報告書や古絵図、他の城郭との比較などから行う勉強会(オンライン上)や現地での考察会、案内や解説のチラシの作成からインターネット公開、SNS(TwitterやFacebook)での魅力・情報発信、福井城址周辺の清掃を行います。


「福井城を国の史跡に指定され、福井のシンボルにしよう! 」

福井市の政治や文化の基礎を築いた福井城の今後のあり方を皆さんと一緒に考えていきましょう。

 

興味を持たれた方は、TwitterもしくはFacebookからの入会申請が可能です。
Twitterの方は、「入会希望」という旨をメッセージしてください。
Facebookの方は、グループにお入りください(数点のアンケートに解答していただきます)。
※主な活動はFacebookでしておりますので、Facebookを推奨しています。
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\だいなのプロフィール/

酒井 大那(さかい だいな)

「歴史に触れ合う、歴史を読み解くことができる歴史的文化遺産こそ、城跡!」

平成13年、福井市生まれ。考古学専攻の大学生(主な専門は日本考古学・城郭史)。
発掘調査から出土したモノを通じて、過去人類の文化や過去の社会を研究している。
これまで訪れた城跡、城郭は500カ所以上。

「福井城を守る会」代表(2021年4月活動開始)、若狭国吉城歴史資料館宣伝担当。城郭談話会・石川考古学研究会 等に所属する。

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※本記事の情報は取材時点のものであり、情報の正確性を保証するものではございません。最新情報はお電話等で直接取材先へご確認ください。

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