「境界」ってなんだろう。
またも釣りの話で恐縮だが、先日、カリマンタン島に滞在してきた。
ボルネオ島という方がピンとくるだろうか。
旅したのはインドネシア領なのでそっちはカリマンタンと呼ばれている。
島にはインドネシア、マレーシア、ブルネイと3つの国の境界があるわけだが、今回はいろんな境界があいまいになるというお話。
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カリマンタンの小さな港町からボートに4日分の水、食料、寝袋を詰め込んで、海と川がつながる汽水域、つまり淡水と海水の境界があいまいな場所を巡りながら怪魚を狙う旅だった。
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ホームステイ先はエビ漁師の水上住宅。
電気も水道もWi-Fiもない簡素な小屋。
ボートを横付けして梯子をよじ登ると、屋根はあるけど壁がない、外と内の境界線がない。
でも、きちんと室内?は清潔に整っていた。
奥に向かうと、一角にガスコンロがある、つまり台所かな?
その奥にトイレと水浴びの場所。
トイレは床に穴が空いていて、そのまま川に流すシステム。
川に住む魚たちにとってはちょうどいい餌場、自然循環。
そこで気がついた。
はて?
台所では、洗い物や調理に川の水を紐のついたバケツで汲んでつかっているわけだが、その先にあるトイレとは地続きならぬ水続き。
う??
ここも境界がないのか…ちょっと怯むがまあ、しゃあない、それもまた冒険(!)だと腹を括る。
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小屋には猫が暮らしていて、きっと飼い猫なんだろうけど、野良かもしれない。
そういえば、旅する先々で野良とも飼い猫とも区別のつかない猫たちがうろうろ。
これまた境界がなかった。
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でも、僕が子供の頃もそうだったかも。
まだ上下水道のインフラも整ってなかったし、めちゃくちゃ「ざいご」の友達ん家に行ったら、トイレの穴の向こう側に鶏が歩いててビビったなあ。
生にまつわるいろんなこと、死にまつわること、ぜんぶブラックボックスに入らずにカオスのように見えていたっけ。
野良猫も野良犬も歩いてた。
この島にはそんな「境界のない世界」があった。
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こうして「今回はきついなあ」と思ってはじまる旅暮らしも3日もすれば慣れてしまう。
硬い船の上でも熟睡できる。
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旅の途中に読んだ本に、ボルネオに住むある狩猟採集民族は「将来」に備えるという概念がないとあった。
つまり現在と未来の境界がない。
そして獲物をとったら、猟に貢献しようがしまいが、必ずみんなで均等に分けるそうだ。
他者と所有の境界もないのだ。
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そんな曖昧な世界に身を委ねた数日間。
AIが進化し、労働や貨幣の意味が変われば、国や経済の「境界」も曖昧になるだろう。
未来の行き着く先は、一周回って原始の暮らしだったりして。
そんなことを柄にもなく川の上で哲学するのであった。