例年、父の日は子供たちと一緒に食事をして、小さなプレゼントをもらうのが習慣になっている。
ただ、今年は子供たちも社会人となり忙しくなったので恒例の食事会はなし。
少し寂しいけれどこれもまた時の流れだ。
僕自身は父親にそんなに頻繁に感謝の品を渡したりしなかったから、
「ああ生きている間にもっとありがとうを伝えたらよかったな」
と、この日を迎えるたびに小さな後悔がよぎる。
* * *
父は福井生まれの福井育ち。
多才な人だった。
公務員を経て町議会議員を長く務めた。
ウエイトリフティングの国際審判やスキー連盟の理事を歴任。
楽器が得意でどんな曲も耳コピできてギターを弾きながらハーモニカを吹いた。
ゴルフもシングルの腕前。
ホールインワンを生涯で4度達成したことが自慢。
書道家としても活動し筆耕としての仕事は一度「fu」でも取材していただいた。
あのときはうれしそうだったなあ。
目を細めながら自分が掲載されたページをめくる姿がなつかしい。
* * *
そんなエネルギーに満ち溢れていた父が最愛の母に先立たれた後、まるで植物が萎れていくように元気がなくなった。
大好きだったゴルフをする気にもならず広い家でぽつんと1人暮らし。
一日中仏壇の前で経をあげていた。
よほど寂しかったのかあるとき
「猫を飼いたいんだけど、どやろな?」
と相談された。
* * *
その頃の僕はまだ動物たちと出会う前だった。
すぐさま
「そんなひとりで世話なんかできないよ」
と、にべもなく提案を却下した。
しばらくして父は他界した。
猫は長生きだ。
すでに80歳の父親が飼うことの難しさはあきらかで、僕の答えも表面だけを見ればなにも間違いではない。
しかし、もしもあのとき一緒に猫を見つけてあげて、暮らし始めていたら・・・。
動物たちからもらえるエネルギーの偉大さを知った今なら間違いなく違う答えをしていた。
後のことは僕が責任をもつから、猫と暮らしたらいいよと。
生きる張り合いが生まれて、もう一度、元気な父が戻ってきたかもしれない。