昭和天皇もおかわりをご所望?! 「越前おろしそば」の歴史を深堀りしてみました。【ふくいのそば大解剖②】

昭和天皇もおかわりをご所望?! 「越前おろしそば」の歴史を深堀りしてみました。【ふくいのそば大解剖②】

越前おろしそば」で知られる福井県。

豊かな自然と清らかな水に恵まれた、全国でも屈指のそばどころとして知られています。

 

そば産地としての特徴や歴史、文化を深堀りして、“知れば、福井のそばがもっとおいしくなる”情報を「ふくいのそば大解剖」としてシリーズでお届けします。

 

今回のテーマは「越前そば」の歴史。

 

昔から、日本の歴史の重要な舞台となってきた越前の国に、どのようにそば食が根付き、おろしそばが県民食として親しまれ、福井名物として全国にその名を知られるまでになったのか、その歩みを振り返ります。

江戸時代に生まれた「おろしそば」は、医師のお墨付き

本多富正の菩提寺、龍泉寺


今の福井県の地域にそばの栽培が導入されたのは、戦国時代に朝倉氏が一条谷に城下町を築いたころでした。

収穫まで期間の短いそばを合戦の兵糧とするために育て、当時は「そばがき」のような形で食されていたといわれています。

 

そば粉を熱湯でこねて餅状にした食べ物。栄養を余すことなく取り入れられる


江戸時代になると、今のような麺になったそばが普及しはじめました。

越前に持ち込んだのは越前府中(今の越前市)を治めた本田富正です。

富正は京都から金子権左衛門というそば師を伴って越前に赴任し、飢餓にそなえた救荒作物としてそばの栽培を推奨しました。

その食べ方として医師に相談して発案されたのが、大根おろしの汁でそばを食べる方法

 

ここに「おろしそば」が誕生しました。

 

>おろしそばの栄養的な特徴は「そばの栄養」(準備中)で詳しく紹介します

 

昭和天皇が懐かしまれた「あの、越前そば」

昭和天皇が行幸の際に召し上がったそばを提供した越前市の「うるしや」。一度のれんを下したが2019年に再開。


福井のそばが「越前のそば」
として知られるようになったのは、戦後間もない1947(昭和22年)に昭和天皇が行幸で来県されたこと。

その時に越前市出身の宮内庁主厨長、いわゆる天皇の料理版だった秋山徳蔵が、昭和天皇にそばを提供しました。

 

すると昭和天皇はおかわりを所望され、東京に戻ってからも「あの越前のそばが・・・」と懐かしがられ、このエピソードから広く「越前おろしそば」の呼称が定着することとなりました。

 

「おろしそば、アリャうまい」と全国に知れ渡る

劇団民藝を創立した福井出身の俳優・故宇野重吉さんも、故郷の福井のそばをこよなく愛したひとりです。

「おろしそば、アリャうまいぞォ」と公演で訪れた全国で、そのおいしさを伝えていました。

 

福井名物として定着したおろしそばは、県内各地の名店だけでなく、地域でのそば会などでも親しまれ、そば食の文化は県民の暮らしの中に広く浸透しています。

2007年には農林水産省の農村漁村の郷土料理百選」にも選定されています。

⇒農村漁村の郷土料理百選はこちらから

 

>「そば打ち文化」(準備中)で詳しく紹介します

 

 


 

【ふくいのそば大解剖】シリーズでは、引き続き様々な角度から福井のソバの魅力をご紹介していきます。

 

ぜひお楽しみに。

 

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※本記事の情報は取材時点のものであり、情報の正確性を保証するものではございません。最新情報はお電話等で直接取材先へご確認ください。

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writer : ふーぽ コラム

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