「地方鉄道の魅力と心意気」/ 鉄道写真家・エッセイスト 南 正時②【ふーぽコラム】

「地方鉄道の魅力と心意気」/ 鉄道写真家・エッセイスト 南 正時②【ふーぽコラム】

福井にゆかりがあったりなかったりする、いろいろな書き手がよしなしごとを書き綴る「ふーぽコラム」。

今回は、福井県旧武生市出身の鉄道写真家・エッセイスト 南 正時さんの2回目です。

地方鉄道の魅力と心意気。

 私が小学生になったころ、それまで母や父に連れられて福鉄に乗っていたのが一人旅になった。
 まだ北陸線には蒸気機関車が闊歩していた昭和30年代、福鉄には関西の大手私鉄から払い下げられたお古電車が走っていた。
 それぞれ特徴があって、鉄道大好き少年だった私は都会の電車に憧れを持ったものである。


 母の実家に行くときは、鯖江から鯖浦線に乗って陶の谷まで行ったし、父方の横市の実家に行くには南越線で塚町まで乗った。


 小学低学年の頃はダブルルーフ(二重屋根)で手動扉のいかつい電車に乗った記憶がある。
 父親から聞いた話では、南越線はさらに昔は、「軽便」と呼ばれていたそうだ。南越線の前身は武岡軽便鉄道と呼ばれていたからだった。


 昭和35年、武生新から叔母の住む三十八社まで行くときプラットホームにスマートな急行電車が止まっていた。乗りたかったが三十八社には急行は止まらないので、やむなく古い電車の鈍行で向かった。


 少年の目に焼き付いた電車は200形電車で、当時の福鉄が日本車両に発注した近代的高性能電車だった。
 当時は国鉄北陸線の電化工事が終了して、国鉄の高性能電車が武生と福井間を走るとあって、路線が並行する福鉄では危機感を持ったようだ。
 200形電車は急行電車として俊足を誇り、国鉄と競争するように走った。


 後に知ったことだが、当時の地方私鉄が日本車両に新型電車を発注することは異例のことで、2両固定連接車は、福井市内線を走るため急カーブに対応するものだった。
 車内は国鉄急行と同じ仕様の4人ボックスシートで、福鉄は国鉄に先んじて近代化を成し遂げた。


 時代は下り、鉄道の斜陽化と共に一番影響を受けたのが福鉄などの地方私鉄である。北陸でも新潟、富山、石川県でも私鉄が相次いで廃止になった。
 そして名車200形は50年以上の現役を終えて今は北府駅に静かに眠る。


 私の少年時代に胸躍らせた福鉄の電車たちと、それらの鉄道の素晴らしさ、地方鉄道の将来についてを、これからの鉄道を担う福井県内の少年少女たちに対し、2020年に北陸新幹線がやってくる前に伝え訴えたいと思う今日この頃である。



南 正時(みなみ・まさとき)

1946年、旧武生市生まれ。70~80年代に「鉄道大百科」がヒット。
世界中の鉄道を取材し、雑誌やテレビなどで活躍中。

※掲載内容に誤りや修正などがありましたら、こちらからご連絡いただけると幸いです。

※本記事の情報は取材時点のものであり、情報の正確性を保証するものではございません。最新情報はお電話等で直接取材先へご確認ください。

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writer : ふーぽ コラム

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