若狭町にある水月湖の年鎬と鳥浜貝塚遺跡は、知らないと損するレベルのスゴさだった!【嶺南ふしぎ発見】

若狭町にある水月湖の年鎬と鳥浜貝塚遺跡は、知らないと損するレベルのスゴさだった!【嶺南ふしぎ発見】

こんにちは、ふーぽ編集部です♪

福井県の嶺南地方には、太古の遺跡や伝説など知的好奇心をかきたてる歴史ミステリーがいっぱいなんです。

中でも、三方五湖がある若狭町では、水に守られたタイムカプセルともいえる不思議で貴重なモノを発見。

今回はその2つのタイムカプセル、水月湖の年縞縄文時代の鳥浜貝塚遺跡についてお話を聞いてきました。

タイムカプセル① 
地球の歴史を刻む、水月湖の年縞

福井県内には世界の至宝といえるモノがたくさんあります。

実は三方五湖のひとつ、水月湖の「年縞」も世界レベルの貴重なお宝。「地球のものさし」とも言われます。

それについて調査するため、福井県若狭町鳥浜へ。

水月湖の年縞は、鳥浜貝塚の発掘調査がきっかけで1991年に発見されました。

年の縞(しま)と書いて、年縞(ねんこう)と読みます。

水月湖の底には、プランクトンの死骸や土などのチリが積もっていて、シマシマの層が形成されているんです。これが年縞です。

湖の水温が高い春夏にはプランクトンが発生し、死骸の殻が湖底に積もり、水温が低い秋冬には泥や鉄分、黄砂が降り積もります。

プランクトンの死骸、土などのチリがこうして交互に重なるので、シマは1組で1年を表します。

そう今もなお、1年間に約0.7mmずつシマが積もり続けていて、湖底を0mとするとその深さは45m。表している年月の長さは7万年にも及ぶんです!


詳しい調査の結果、さまざまな偶然が積み重なって、この年鎬が形成されたことがわかり、水月湖は「奇跡の湖」といわれるようになったんです。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

その奇跡とは、

●水月湖には直接流れ込む大きな川がなく、湖底に水流が発生しないため土砂が少しずつ積もること。
●山が風を遮り湖水が混ざらないことで酸素が湖底まで届かず、堆積物をかき乱す生物が
いないこと。
●毎年0.7mm積もる泥と同じだけ湖底が沈んでいくこと。

そうやって毎年同じ条件で形成されていく年縞を調べることによって、大雨や洪水・地震・火山の噴火があった年だけでなく、植物が飛ばした花粉の量や種類、各年の平均気温や降水量まで推定できちゃうんです。


ただし、上記のように推定できる事柄は、水月湖や周辺の話。

ではなぜ、「地球のものさし」と呼ばれるのでしょう??

実際の掘削地点は湖の中央。約2カ月かけ 円柱状の年縞を採取した(14年7月撮影)

結論から言うと、水月湖の年縞は「ものさしを測るものさし」なのです。

世界中の化石や土器の年代を決める基準である「地球のものさし」といえば、炭素で年代を測定する「放射性炭素年代※」が知られています。

だけど残念ながら炭素年代測定法では精度に限りがあり、時には100年以上の誤差が出てしまいます。

そこで、水月湖の年縞から正確な年数が分かる木の葉を取り出し、放射性炭素年代を測定。誤差を極限までなくしたことで、約5万年前までさかのぼって正確な年代測定ができるようになったんです!

こうして、年縞の発見から約20年後の2013年、水月湖の年縞は世界標準として認定されました。

水月湖の年縞が基準となって、今後は世界の教科書が書き換えられていくといいます。

イギリス・ロンドンのグリニッジ天文台は世界時間の標準時として有名ですが、福井県若狭町の水月湖が、これから歴史の標準時として活躍するということ。

福井に世界の宝があるなんて、とても誇らしいですよね!

※放射性炭素年代:化石や土器から取り出した炭素の量から、何年前のものかを推定する測定法

 

タイムカプセル② 
縄文の民に宿る和の心

では、もう一つのタイムカプセルについて。

今はもうない「古三方湖」のほとりに縄文の民が暮らしていました。



 

 

 

 

 

 

 

 

1962年からの調査によって、川底から発見された鳥浜貝塚は、約1万3700年前から約7800年間続いた縄文時代初期の遺跡です。

ここでも、「水」が缶詰のような役割を果たし、遺物を良好な状態で現代に運んだとされており、「縄文のタイムカプセル」と呼ばれています。先ほど紹介した年縞でいうと湖底から12mあたり。

発掘調査では、石器や木器、土器のほかに日本最古の糸や編み物、繊維製品、漆製品など驚くほど発達した技術で作られたものが多数発見され、縄文時代の旧来の原始的なイメージを一新しました。

鳥浜貝塚の断面。無数の貝殻と、左下にはシカの骨、 中央に突き出た黒い破片は土器

▲漆にベンガラの赤い漆を塗り重ねた「赤色漆塗櫛」。出土時の色を再現した複製



当時の「鳥浜ムラ」は20人ほどの小さな集落だったそう。

「南向きで日当たりも良かったでしょう。彼らは自然と共に暮らす智恵を持っていました」と若狭三方縄文博物館の小島さんは言います。

ちなみに東京国立博物館で開かれている「縄文 JOMON―1万年の美の鼓動―」展(7/3~9/2)にも、この鳥浜貝塚から出土した「赤彩鉢形土器(せきさいはちがたどき)」が展示されています。(福井県からはほかに、あわら市の桑野遺跡出土の「玦状耳飾(けつじょうみみかざり)」も)

初期は小さかった土器。美しい「斜格子文土器」は 鳥浜貝塚だけ(「鉢」複製)

表面にススとおこげが残る北寺遺跡出土の「深鉢」

自然から必要なものだけをもらう、湖と豊かな森に寄り添う小さな暮らし。家族で囲炉裏を囲み、土器で煮炊きした季節のものを食べる。そして、適材適所のものづくり。

特筆するべきは「殺し合うための道具」が出土しなかったこと。

彼らの営みには、助け合い分かち合う「和」の心や文化の礎が感じられますね。



お話をうかがったのは

若狭三方縄文博物館 福井県三方上中郡若狭町鳥浜122-12-1
☎ 0770-45-2270
【開館時間】9:00〜17:00
【休】火曜(祝日の場合翌日休)、年末年始、臨時休館あり
【入館料】大人500円、小中高生200円 ※各種体験は1週間前までに要予約

 

※掲載内容に誤りや修正などがありましたら、こちらからご連絡いただけると幸いです。

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writer : ふーぽ編集部

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