月に何度かスパイスからカレーを作る。
鍋に油を注ぎ、スパイスを入れた瞬間に立ちのぼる香り。
その匂いを吸い込むと、台所にいながら、どこか遠くへ出かけたときの「記憶」がよみがえるのだ。
僕にとってカレーは単なる料理というだけでなく、旅の記憶でもある。
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カレーとの出会いは学生時代、カレーの店でバイトしたのがきっかけだ。
直接カレーを作らせてもらえたわけではなかったけれど、毎日、何個も玉ねぎのみじん切りをしながら、横目でスパイスの配合を盗み見した。
店のオーナーは僕よりもひとまわり年上で、バックパッキングで出会った旅先の味を頼りに店を始めた人だった。
厨房で学んだことは、大学の授業より、その後の僕の人生に大きな影響を与えている。
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そのアルバイト代を握りしめて19歳の僕はインドへ一人旅に出かけた。
インターネットなんてない時代。
本場のカレーを食べてみよう!とはりきって現地の人と同じものを食べて飲んだ。
案の定、お腹を壊した。
安宿の薄いベッドで、脂汗を流しながら天井の染みを眺めて、あまりにも不安で泣いた。
それでもカルカッタの屋台で食べた一皿は容赦なくスパイシーで、甘さと辛さと現実が混ざっていた。
あれは、自分の未熟さを噛みしめた記憶の味である。
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そのもっと前、福井の実家の台所で母が作ってくれたのは、なんでもない、ふつうのカレーライスだった。
冬の夕方、大鍋の蓋を開けると、白い湯気が立ちのぼり、冷えた台所が一気にあたたまった。
ルウにからむ豚の薄切り肉。
母のカレーは、安らぎの味だった。
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世界のあちこちでカレーを食べてきた。
インドネシアの離島ではエビとカニのだしが効き、南米アマゾンではナマズのぶつ切りがごろりと沈み、ネパールの川辺では豆の滋味が体を温めた。
土地が変われば香りも油も辛さも具も違う。
それでも最後はやっぱりちゃんと「カレー」に収まる不思議。
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さらに不思議なのはカレーは失敗しない料理だということ。
肉が少し多かろうが、少なかろうが、スパイスの配合がぶれても、火加減が適当でも、煮込むという時間がすべてを引き受けなんとかしてくれる。
そんな包容力がある反面、その日の湿度や火加減、作り手の気持ちまで、そっと味に映す繊細さもある。
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何度もこうして鍋をかき混ぜているうちに、とうとう自分の好きな味を誰かに伝えたくなった僕は、オリジナルのスパイスミックスまでつくってしまった。
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遠い国のスパイスの香りも、福井の台所から立ちのぼる湯気の向こうにある香りも、鍋の中でぐつぐつ一緒に煮込まれて、僕の人生になっているのだろう。
だとしたら、最後はなんとなくうまく収まって、自分らしい味になるのかもしれない。