仕事柄、陶芸作家のアトリエを訪ねる機会が多く、これまでにも気に入った器を少しずつ買い集めてきた。
けれど、実はずっと敬遠していたジャンルがある。
漆器だ。
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扱いが難しそうで、使ったらすぐに拭かないといけないとか、しまうときも気をつかうとか―――。
そんな先入観があって、気にはなりながらもどこかで距離を置いていた。
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ただ、考えてみればその魅力には15年も前にすでに出会っていたのだった。
輪島塗の作家・赤城明登さんのパスタ皿。
たしかに惹かれた。
手に取ったときの軽さや、すっと手になじむ感触。
パスタのみならずパンでもサラダでも丼でも何を盛っても絵になるその器に、「いいな」と思った。
けれど当時の自分にはかなり高価に感じられたし、どこか”特別な日の器”のように思えて、結局そのときえい!っと買った2枚きりで終わってしまった。
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それから長い時間が流れた。
いい器のある暮らしに触れ、使い方も手入れも、自分なりのペースで楽しめるようになった今、改めて漆器と向き合ってみると、あのときはわからなかった魅力に気づいてしまった。
これって歳のせい??(笑)。
そしてついに「これは…!」と思える漆器に出会った。
福井の越前漆器、山本英明さんの飯椀である。
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高台のついた黒塗りの大ぶりな飯椀は、どこまでも静かで美しい。
まさに”引き算の美”。
食卓に置いただけで背筋がぴんと伸びる気がする。
炊きたての白いごはんをよそうと、米のひと粒ひと粒が黒の漆にくっきりと映える。
あまりの美しさに俄然興味が湧いて調べてみると、山本英明さんは2002年に「塗師(ぬし)屋のたわごと」という本を残されていた。
すでに亡くなられていることもあとから知り、ページをめくる手に自然と力がこもった。
道具としての漆器に真摯に向き合い続けたその言葉は、生きた手ざわりでこちらに届いてくる。
「飯椀は黒うるし、汁椀は朱うるしで仕上げることにしている。(中略)ごはんは黒うるしの器に盛った方が美味しく見えるという経験からこうすることにしたのや」
茶碗だと熱くて持てないものもうるしの椀だと熱く感じない。
「おらの器は水切れがいいし、手入れも簡単」とも。
本当にいい漆器は手入れも簡単でしっかり使えば100年も200年も持つそうだ。
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まさか自分の生まれ故郷のすぐそばにこんな素晴らしい器の産地があったなんて。
こんど実家に帰ったとき、ぜひ越前漆器の里を訪ねてみたいな。
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炊きたての白いごはんをよそい、熱々の味噌汁を添える。
器を手にしただけで、気持ちが整っていくのがわかる。
湯気の向こうに犬と猫。
毎度の景色。
静かで穏やか。
今日もい一日が始まりそうだ。