【前編】週刊少年ジャンプ編集長は福井県出身!! 創刊50周年で「ふーぽ」が特別インタビューしたよ!

■子どものころ、ジャンプは別格だった。

ふーぽ
 中野編集長は、やっぱり子供のころから漫画はよく読んでいたんですか?
 

中野編集長
本当に漫画は大好きで読みまくってました。

今でも両親には「あんたは漫画さえ読んでいればずっと静かにしていたから、手のかからない子だった」と言われます(笑)。
 

ふーぽ
ほ~、やっぱりそうなんですね。どんな漫画を読んでいたんですか?
 

中野編集長
幼稚園ぐらいのときは、親戚のお兄ちゃんの家に漫画がたくさん置いてあって、その本棚が大好きでした。

初めて自分で買った漫画は「ドラえもん」だったと思います。そのころほかに好きだったのは「キン肉マン」とか「キャプテン翼」かな。キンケシ(※キン肉マン消しゴム)も集めましたね~。

小学生のころといえば「コロコロコミック」「コミックボンボン」も読んだな~。

「りぼん」などの少女マンガや、ずっと年上の人の読む内容のマンガも背伸びして読んでいました。
 

ふーぽ
キンケシ! 懐かしいです!

そのころ、「少年ジャンプ」はどんな存在でしたか?
 

中野編集長
まあ、小学生のころは、子どもながらにジャンプは別格な感じでした。

「DRAGON BALL(ドラゴンボール)」が連載されていたまさに全盛期ですもんね。読んでいないと、子ども同士のカルチャーに乗り遅れるというか。

中学生のころ、僕はサッカー部に入っていたのですが、授業が終わって部活が始まるまでの間に、急いで自転車こいで近くの本屋さんへ行ってジャンプを買ってきて、部活のメンバーで回し読みしていました。

漫画の続きが気になって、1週間後が待ち遠しかったな~。本当にみんながジャンプに、漫画に夢中でしたね。

今は編集長として、もう一度なんとかあの熱狂を子どもたちの間によみがえらせたいと奮闘中です(しみじみ)。
 

ふーぽ
うわー、僕もほぼ同じジャンプ世代なのでよくわかります。

そのころから、将来は漫画に関連した仕事をしたいと思っていたのですか?
 

中野編集長
いや実は僕、漫画家になりたくて、小学生の頃は自分で漫画を描いていたんです。
 

ふーぽ
ええ~!マジですか!!

どんな漫画を?
 

中野編集長
「DRAGON BALL」が流行っていたので、やっぱりよく似たバトルものですね。

それで、つけペン(※漫画を描くための道具)が欲しかったんだけど、田舎だからどこにも売っていなくて・・・。父親の万年筆を使って描いてました。

同じく当時流行っていたビックリマンシールをマネして、自分でオリジナルのキャラクターを作って戦わせたり。そんな漫画を友達同士で見せ合っていましたね。
 

ふーぽ
じゃあ、もしかしたら編集長じゃなくて、漫画家として少年ジャンプに関っていたかもしれないんですね。

それはそれで面白い!

では、そんな風に漫画家を夢見ていた少年が、どうやって編集長へ上りつめていったかを聞かせてください。
 

中野編集長
上りつめてますかね(笑)。

漫画もですが、僕は小説などの本を読むのが好きで、高校生のころになると授業中に本を読んだりしてました。

好きだったのは、筒井康隆や星新一、大江健三郎、デュマとか。

そのうちに、出版社に入りたいなってぼんやりと思うようになって

そうして、大学を卒業した後の進路を考えるときに、自然と集英社(※週刊少年ジャンプの発行元)に目が向いたんです。

だけどその時点では、漫画雑誌の編集者になりたいって、特に強い思いがあった訳ではないですね。

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